気ままにクラシック・エッセイ

「あの曲がずっと頭の中で…」なんて事ないですか?・・・もやもや、或いは選択に悩んでいるクラシック、ジャズの相談解消します。
レコード探偵アマデウスが名曲のミステリーを、楽しく紹介します。

2012年01月

シューベルト・デイ、マーティン・ヘルムヘンで《ピアノソナタNo.20》を聴いた! 寛いだ! http://amzn.to/xgE0TJ

記憶。想い出の時間の中に、その時の音楽も一緒に記録としてとどめてあることがある。思い出話をしている時に、共通の記憶とは別に自分だけの胸の内で再生が開始されている音楽に漂おうとしていることがあります。
或いは、再び訪れた場所で聞こえてくる様な演奏がある。
そういうのは日頃は意識をしていないけれども、通奏低音の様に日々の風音、電車の走行音の間にいつもあったのかもしれない。
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誤解されないで欲しいけど。あの演奏は良かったねぇ、音が凄かったねぇ。と言った類いのものではないシューベルトが、これ。 http://amzn.to/xgE0TJ
一度聞いて、この演奏家の解釈、伝えたいことが『うん、分かった!』という録音は、音楽談義の中で次々と(記憶の中で)Qだし出来るのだけれども、そうで無い演奏がマーティン・ヘルムヘンが録音したシューベルトに感じます。
録音は2007年のことですし、進化形の演奏家には次の録音に期待しよう。と言ったコメントをつけることもある。でも、5年経って聞き直してみて。これはこれで良いんじゃない。そう再認識しました。

シューベルトのピアノソナタ第20番は、若いクラシックファンには「のだめカンタービレ」が切っ掛けで聞く様になったという方もいるでしょう。ましてや、マーティン・ヘルムヘンは"イケメン"だ。ミーハーがいるだろう事は分かります。
この録音の評価は面白い様に、二分されています。まだまだ新人としての認識だった時に、レコード芸術の同じ紙面上で好き、嫌いが分かれているのは意外性がありました。これからの進化を見守りたいと濁せるものを、フルート奏者の西村祐氏は『(シューベルトの心の)痛みは巧妙に隠されているのだ』とし、連載『之を楽しむ者に如かず』で音楽評論家の吉田秀和氏は"『新しい』シューベルト"と、二重カギ括弧付きで『感心した』と触れられています。
長年のクラシック音楽の聞き手ほどに、マーティン・ヘルムヘンが演奏したシューベルトはここが抱いているシューベルトのピアノソナタ、特にこの『20番』には『痛みをはらんだ心からの歌』を聴きたいという欲求が高くある。だから、シューベルトの音楽ではあるし悪くはない。でも、どこか自分の心の中にある『シューベルトのソナタ20番(Piano Sonata in A, D 959 / 6 Moments Musicaux)』のポケットの中にはすとんと落ちてこない。
そんなもどかしさが、、、、あっても良いんじゃない。
似た様な感触があったことを思いだした。
それは、はじめてウィンダムヒル・レーベルのレコードを聴いた時だった。
ジョージ・ウィンストン。これは一体何だ。どういうピアノ録音のセッティングなんだ。いろいろな思いがいっぱいになって・・・でも、慣れると"ブルース"が奥の方で響いていた。綺麗で上品なマイセンが無機的に感じられる時がある様に、プラスティックで出来た工業製品ではなかったことが時間と共に感じられてきた様に、マーティン・ヘルムヘンのシューベルトも今後登場するであろう"新しい"シューベルトを聴き進んでいけば改めてはっきり、あーだこーだと言えそうです。
レコードやCD、映像で観ても実際に接すると印象が違うものです。古くはティボー、楽器と録音の愛称か数少ない来日時の演奏を記憶している型によると大きな響く音色だったと言うこと。ジョージ・ウィンストンも来日ライブはレコードを聴いて、同じ感じを期待した人は戸惑ったことでしょう。
さて、マーティン・ヘルムヘンはどうか。
来日も何度かありますが、この度、熊本で生の演奏に接することが出来ます。
2011年4月4日。くまもと森都心プラザホールで、ピアノ・トリオの演奏会があります。
東京でベートーヴェンのトリプル協奏曲の演奏会があるために来日。せっかくだからと言うことで、縦断ツアーがソリストたちで行われる運びとなり、熊本でも聴く事が出来ます。
《Comodo Arts Project 室内楽シリーズ第1回》
マーティン・ヘルムヘン&ヴェロニカ・エーベルレ&石坂団十郎
ピアノ・トリオ

【ご予約・お問い合わせ】Comodo arts project 096-288-4635 info@comodo-arts.com
シューベルトのアナログレコードを聴きたくなったら、こちらがお薦め。詳しくはリンク先をご覧ください。 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e588134.html
独DG/410 862-2/ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団/シューベルト:未完成、メンデルスゾーン:イタリア/ブルーリングラベル/6,300円
英DECCA/SDD153/クリップス指揮ロンドン響/シューベルト:交響曲No.9グレート/8,400円
蘭PHILIPS/6500341/アルチュール・グリュミオー、ロベール・ヴェイロン・ラクロワ/シューベルト:ソナタD.574、ソナタOp.137 No.1、No.2、No.3/8,400円
英DECCA/SXL-6538/ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団/モーツァルト:交響曲No.38《プラハ》、シューベルト:交響曲No.8《未完成》/7,350円
DG/2530473/ポリーニ/シューベルト:さすらい人幻想曲、ピアノ・ソナタ/7,350円
独MUSICAL MASTERPIECE/MMS2221D/リリー・クラウス(ピアノ)/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタNo.8「悲愴」、「ワルトシュタイン」/6,300円
アマデウスクラシックス!アナログ初期盤LPレコード通販サイト:シューベルト・デイ、ヘルムヘンでソナタを聴いた! 寛いだ! via amadeusclassics.otemo-yan.net

ボサノバが好きなら聴いてみて? ペルルミューテルのショパン http://amzn.to/wm4AMp

クラシック音楽のとりわけピアノ曲、ピアニストが発する音楽が恋しいものにとってペルルミューテルは神々しい存在です。ショパンとモーツァルト、それにラヴェルは中でも極上。彼の音に接している時間はとっても幸せ。
モーツァルトはショパンを弾くように、ショパンを弾く時はモーツァルトを感じながら。と言われています。ペルルミューテルを聴いていると、その先にあるラヴェル、ドビュッシーが感じられます。
 


ヴラド・ペルルミューテル(ピアノ)

ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、第3番、舟歌


今夜聴いているCDは、NIMBUS NIM-5038 ( http://amzn.to/wm4AMp )。ニンバスレーベルのCDは、アーティストによってはごっそり入手困難になっていますが、幸いアマゾンに在庫があります。
このCDの発売は、1986年のマスタリング。解説には録音年月日の記載がありませんが、1979年にディアパソンディオール、ゴールドディスクを受けているので1975年頃のアナログ録音でしょう。
ニンバスレーベルのCDは「ナチュラル・サウンド」を売りとしていました。この【ナチュラル・サウンド】には、ピアノに関しては尚更、一般的日本のクラシック音楽ファン。デジタル世代には勘違いを起こさせる傾向があるようです。
まぁ、演奏会で聴く音。そう言っても日本の機能的なホールでピアノを聴いているような音ではありません。
とってもまろやかや響きで、ぎすぎすとした角、ノイズ感の無い優れた録音。位相感も無く焦点がフィックスして安心して音楽に身をゆだねられる心地良さです。

舟歌は、このディスクの3曲中では個性的。これはショパンの死後、出版されましたが未来のピアノ音楽を予見しているよう。ドビュッシーが描いたような南欧の暖かい日差しの下で海の波で遊んでいるような演奏になっています。コルトーの音楽を思わせます。

ボサノバが好き、そういう人には受け入れられやすいショパンではないでしょうか。

大寒の夕日 熊本にて

大寒の熊本。寒い寒いと震えている皆さんには気の毒なほどに、熊本は暖かい日中でした。日が沈んでからは流石にストーブに火を入れましたけれども、ダイニングとリヴィングの仕切りはオープンのままです。
 
仕切った方が保温効果は早いのだけれども、機密度が増すので空気が淀みやすい。でも、スースーして足もとはなかなか温もらないのだけれども、今夜は過ごしやすいです。暖かいから灯油が無駄だと叱られそうだけど、それで過ごしています。

名曲《新世界交響曲》誕生には、ドヴォルザークがホームシックで家路を夢見ていたからこそ。

けして大雨ではなかったのだけれども、シトシトと一日中降った月曜日。家の脇の自然な流れの川は水かさが増して速い流れとなっていました。そのような中若しやと思えばつがいの白鷺がえさを捕りに来ていました。

新年会の帰路

いつも目にする大きなツバサの白い白鷺の他にも、羽根の先がグレーの鷺も。カメラをあいにく所持していなかったし、傘を離せるようでも無かったので、もしもカメラを持ち合わせていても思うようには出来なかったでしょう。

鷺はそれを知ってかお構いなくか、犬を連れて散歩している人が川縁に足を止めているのでも気にかけない様子。
今日は仕方が無いなとあきらめて川縁を過ぎようとしたら、前方から飛んでくる白い鳥。大きさは鳩ぐらいでしたでしょう。
カモメ?
って、どきどきしたほど。
ジャンプすれば届くような高さを子供・・・だと思うのだけど、小さい鷺が頭をかすめて飛んでいきました。
これは撮りたかったな、と思った。川の水かさが増してえさが捕りやすくなっていたのかしら。

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火曜日は天気も良く、一日寒さも和らぎました。寒くなったり、雨が降ったり、日中が少しずつ長くなっていって春になるのもやがてでしょう。
でも、ノロウイルスやらインフルエンザで新学期が始まって早々だけど、学級閉鎖も出ているようで心配です。
かくゆうわたしも、日曜日は体調が悪かった。

そのような時は音楽が癒やしてくれる。仕事に関わらない音楽を聴いて気晴らしするのが良い物ですね。直接関わらないような音楽でも、作品に生きてくる。ドヴォルザークの有名な《新世界交響曲》は、まさにそうした背景の有る音楽です。時は1892年。イギリスで初演して大評判を得た《交響曲第8番》で名前が世界的に知られる存在となったドヴォルザークに、新世界アメリカから音楽学校を創設するので校長になって欲しいと打診が来ます。
一度は断るのですが、港から蒸気機関車で行くことに魅力を覚えたドヴォルザークは渡米をします。
しかし、引き留められ引き留められ機関車に乗ったら頃合いを観て帰っちゃえ、って思っていたのに3年間もアメリカにひとり。祖国に残してきている妻や子供たちへの思慕は募るばかり。完全なるホームシック。
ホームシックになった作曲家って、ドヴォルザークぐらいでは無いでしょうか。
しかし学校を放置して帰ることも出来ず、気晴らしに通い出したのが近郊にあるインディアンの居留地。そこでネイティヴ・アメリカンのメロディーを採譜します。
そうしてアメリカへの置き土産としたのが、《新世界交響曲》でした。

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指揮棒を使わないで両手10本の指で、オーケストラを自在に操ったストコフスキー。指揮者をそれぞれ何かに例えたらたったひとりの帝王カラヤン、ストコフスキーはまたとない魔術師と言ったところでしょうか。シューリヒトはオルガン製作者の倅( http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e579386.html )でしたが、オルガン奏者だったストコフスキーはオーケストラを様々な音色を作り出すストップのように楽譜に書かれていない音色を加えたり増強したり。

レコード会社と100歳までの録音契約を延長した矢先に亡くなるのですが、それでも95歳という最高齢の音楽家です。最初の録音は1917年。SPレコードの時代も、時代。電気式録音ではなくマイクロフォンを使わないアコースティック録音時代から、デジタル録音まで60年間をレコーディングスタジオで生活していたとも言っていいようです。

長いレコーディング・ライフで、ドヴォルザークの《新世界交響曲》の録音は10回に及ぶだろうと思われます。最初は1925年のSPレコードのセットで5枚組で、セットM-1のカタログ番号で発売。その番号からも分かるとおり、電気録音になって早々のセッション。マイクロフォンの精度は帯域が狭かったために、アコースティック録音時代同様にチェロ、コントラバスの代わりにチューバなどで演奏しています。

二度目、1934年10月22日にニュージャージー州カムデン教会の第2スタジオで録音された音楽はSPレコード時代の《新世界交響曲》を代表する優れた演奏です。カムデンでの録音だけに響きも良くて、アメリカではVICTOR。英国ではHMVから発売。5枚組のセットでM-273のカタログ番号がついています。

この2つの録音は、楽器の編成はマイクロフォンの制約でずいぶんと違った音色ではあるのですけれども第2楽章が、25年録音盤が約1分長く、第4楽章は30秒ほど短い。怪演と一般的には誇大に表現されているものの、それは確かにオーケストラの編成が楽譜指定よりは多いこと楽器を違うものと差し替えている箇所があり、第1楽章で良くわかるのは終盤でホルンがトリルで派手な立ち回りを見せています。

でも、全体を聴いてと盤の最終面に付与されている曲の解説から黒人霊歌、ネイティヴ・アメリカンの音楽を取り込んでいることを良くわかる演奏です。音色や音型のデフォルメで良くわかりました。バーンスタインの録音が薄味に思えるほど、アメリカの音楽になっています。

独 ETERNA/827103/スウィトナー指揮ドレスデン・シュターツカペレ/ドヴォルザーク:交響曲No.9「新世界より」/ブラック・ラベル、1stラベル

 

 

アマデウスクラシックス!アナログ初期盤LPレコード通販サイト:名曲《新世界交響曲》誕生は、家路を夢見ていたから。 via amadeusclassics.otemo-yan.net

 

 

七草粥と風景の見える演奏

一月七日、七草です。七草粥を召し上がりましたか?

春の七草は、『セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、春の七草』と呪文のように母の言うとおりにオウム返しに覚えました。家庭菜園をしていたほどではありませんでしたけれども、屋敷うちのかどかどにはニラ、三つ葉、山椒等々。ひともじもわたしが旬に食べる分には充分採れました。


松、柊や山椒は、魔除けとしても植えてあったようです。北東の角には門があったものの出入りは出来ないようになっていて、日頃の出入りは玄関から南の長い木戸を通って表に出なければ成りません。小学校に遅刻しそうな時など、北東の門を乗り越えた方が五分以上は時間が短縮できるのにな、と思いながらも気配を察していた母に先に釘を刺されていました。

春には母とつくし摘みを小学一年の頃までは、近くで出来ました。今では埋め立てられてマンションが建っています。そこが大きな池地であったこと、今、住んでいる方々は思いもしていないことでしょう。

鳥羽・国崎の七草粥は、大変ユニークで『ひじき』や『布海苔』など海の七草というのがあるそうです。

セリ。ナズナはぺんぺん草で、中学校のグランドに良く育っていました。スズナはカブ、スズシロは大根。ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザは八百屋で目に留まる菊科やナデシコの仲間をその時々に臨機応変。これらを六日の日に楽しく刻んで、神棚に供え翌朝にはこれでお粥を頂くのです。

 

木曜日だったかお昼の『ごきげんよう』で、おせちで最初に食べるのは何か?というアンケートがありました。一番多かったのは『栗きんとん』。中には『お雑煮』を上げた人もいたようで、若い人にとっては取り立てておせち料理は食べないようですね。


一月七日、1967年にカール・シューリヒトが、87年にも及ぶ生涯を閉じた日です。45年前になります。偉大なフルトヴェングラーと並び称されるドイツの巨匠指揮者。高名な文化人の家庭に生まれたフルトヴェングラーは、常に陽のあたる場所で生きましたが、ドイツの地方都市で代々オルガン製作者の家系だったシューリヒトは、その確かな才能だけで地方の歌劇場などで地味に活動しました。カールが生まれる3週間前に、父親が亡くなっているので苦労も多かったろう。雇い人が海岸で溺れそうになっているのを助けようとして絶命してしまった。その父親の行いはシューリヒトの音楽に現れているように感じられます。

 

ドイツ魂の巨匠・・・この冠には聴くのを遠ざけてしまう要素もあるでしょうが、シューリヒトの録音は近年録音されているオーケストラのCDと比べると、より現代風に楽しめるのが魅力。グラモフォンとかDECCA、EMIと言ったメジャーレーベルでの録音は少ないのが残念ですが、十分な録音を残してくれました。

70歳を過ぎてから、滅多に指揮者に心を許さないウィーン・フィルが、心から畏敬の念を抱くほどの指揮者でした。英DECCAでシューリヒト指揮ウィーン・フィルの「モーツァルト:交響曲No.35《ハフナー》」の録音を聴いたカルショーが、『この録音のシューリヒトはもうろくしていた』と言ったとか、他人の評価に敏感な若い人たちには、そのような話は聞く前に結論を下させてしまうことになりそう。先輩の言うこと、上司の忠告、親の助言。50年も前のエンジニアの言葉は素直に飲み込んじゃうのかな。

洒落の効いた英国紳士の言ったことだけで神棚に供えたままにしないで、シューリヒトを陽の下で聴いて楽しむのが良い。

シューリヒトはブルックナーを十八番にしたから、ブルックナーファン、マーラーファンも巨匠指揮者であったことは多くがご存じ。『宇宙的響きの《第8番》』と高い評価がされているから、厚味のある壮大なサウンドを体中で感じたい。そう、思うと肩すかしを食う。

 

デジタル化されてしまうと、シューリヒトの音楽は薄っぺらい印象に聴いてしまっている人が多いかもしれない。それぞれの楽器の音の線が細やかで、無限の星々が姿を変えながら大宇宙のハーモニーをおのおのの輝きで構造しているような・・・アナログで、そのような音の再生を目指すのにシューリヒトの音楽は最適です。

代々オルガン製作者だったシューリヒトがオーケストラで作り出してくれた音楽は、オルガンの響きを教会やホールの広い空間で反響した音楽を聴かれることを念頭に、オルガンのストップ操作をするようなオーケストラの楽器それぞれの音色を充分に生かしている。オーケストラが個性の集団である、ウィーン・フィルが"心からい畏敬の念を抱いていたほど"だったというのは指揮者が音楽を押し出すのではなく、そこここに自由にある楽器の音色で音楽に推進力を与えていくようなところにあるのでしょう。


シューリヒトが録音したレコードにはシューマンの《ライン》交響曲が少なくなく、代表的録音でもある。シューマンの「交響曲No.3《ライン》」はロベルトを愛するクララが画策をしてでも、ヴィークの手から逃れて愛を成就させようとした。苦労の上の結婚をして、幸せの中で旅して観たライン川の風光明媚が音楽で再現されます。

その新婚旅行の音楽は、システマティックな旅を思わせないもので穏やかで晴朗。ブルックナーの音楽を愛する人には、尚更に楽しめるシューマンの《ライン》交響曲ではないかと感想を持っています。

 

先日、NHK-FMの『気ままにクラシック』でバッハの《管弦楽組曲第2番》からフルートが美しい《メヌエット》が放送されていました。クラウス・ポーラーのフルートは生き生きとしていて、古い録音だと感じさせない瑞々しい音楽でした。


録音されたテープの音は、リマスタリングされる度にやせ細っていくのは致し方ない。デジタルコピーは劣化が無いのなら、最初にデジタルコピーしたものでリマスタリングをするのが良いと思うのだけれども、オリジナル・マスターテープから新たにリマスタリングしたCDですというPR文句がたびたびと繰り返されている。

教会に作り付けられたオルガンはメンテナンスをきっちり続けることで、何百年も音が守られていきます。シューリヒトの音楽は教会オルガンが繊細で美しい音程の単音が、綾なして造った美であるのに似ている。

 

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